臨床コラム 人という動物であること

臨床心理学における支援・研究の対象は、もちろんのこと、ヒトである。それでは、ヒトとはいったいなにか、ということを考えてみると、もっとも端的な回答は、ヒトとはヒトという動物である、というものだろう。ヒトが動物であるということに、それほど反対意見はないことと思う。しかし、ヒトとサルは同じ動物である、ヒトとネコは同じ動物である、ヒトとトカゲは同じ動物である、と書いてみると、個人によって反応が違ってくるかもしれない。ヒトと動物の境界が曖昧なキャラクタ達の物語である「けものフレンズ」の流行は記憶に新しいけれども、私たちが専門とする臨床心理学は、人間のこころや行動を理解するために動物を対象とした実験や観察を行ってきた。厳密に言うと、臨床心理学は、動物の行動やその理由を研究する学問分野のひとつである動物行動学(ethology)から、多くの知見を取り入れている。そうすると「どうしてヒトの仕組みを理解するために、動物が必要なのだろう?」という問いを抱かれるかもしれない。しかしそうした問いを抱くこと自体が、自然界全体において、ヒトが動物の一種である、ということを忘れてしまっていることを示している。それでは心理学は、ヒト以外の動物種とヒトとの間を、どのように架橋したのか。

コンラート・ローレンツは、動物行動学を発展させた第一人者である。彼は自宅に放し飼いにした動物の行動をつぶさに観察した。ローレンツの名前は知らなくとも、「刷り込み」という言葉は一般的にもよく知られている。生まれたての鳥のひなが、最初にみたものを親と思って付いて行く、というアレである。刷り込みの発見のなにが目新しかったのかというと、要するに、生体の行動は全て学習によって獲得されるのではなく、生体は生まれたときから一定のメカニズムを備えている、ということが明らかになった点にある(もちろん、そうした生得的メカニズムが行動の理由の全てであると示しているわけではない)。

こうしたローレンツによる研究を出発点として、ハリー・ハーロウという研究者が、サルを対象に実験を行った。彼は親サルから引き離した子サルを、実験室に入れた。実験室には、針金で組まれた親サルの模型と、柔らかな毛で覆われた模型があり、針金の模型にはほ乳瓶がついていた。子サルはどのような行動を取っただろうか? 子サルは、ミルクを飲むときにのみ針金の模型に近付くが、それ以外の時間は常に柔らかい模型にくっついていた。つまりこれは、子どもは空腹が満たされるから親にくっついている、のではなく、親が暖かくて柔らかいからくっついている、ということを示している。実験当時に主流となっていた考えはむしろ、空腹が満たされるから子どもは親を求める、というものだったが、その知見は覆えることになった。

そしてローレンツやハーロウの実験に注目したジョン・ボウルビィという心理学者・精神分析家が、現在の心理臨床で特に注目されている理論のひとつである「愛着理論」を精緻化した。愛着理論についての詳しい説明はコラムの紙面を超えるために避けたいが、要するに、ヒトは不安や恐怖に直面した際に重要な他者に接近して、その不安や恐怖の低減を求める、という愛着欲求とそれにまつわる愛着行動についての理論である。多くの研究から他者と関係を築いたり、自分を大事にしたり、問題を解決したりすることに関連することが明らかになっている。そしてこの愛着は、ヒトのみでなく、多くの動物も共通して有している傾向である。

ここまで、動物行動学に基づいたローレンツとハーロウの研究と、その影響を受けて生まれた心理学的理論である愛着理論について紹介した。このコラムで述べたかったのは、それぞれの研究成果それ自体についてではなく、ましてや、ヒトはしょせん動物だ、と言いたいわけでもない。ヒトが動物である、という事実を忘れなかったからこそ、心理学は発展してきたのだし、ヒトのこころを考えるための大切な視点を持つことができた、ということである。

ヒトそれぞれは違うが、ヒトであることは同じである。種は違っても、ほかの動物種同様、ヒトも動物である。それは当たり前のことでありながらも、ともすれば簡単に忘れられることでもある。私たちは、ヒトという動物を生きているのである。

(文:平野慎太郎)