臨床コラム フランシス・ベーコンの絵

現在、クリニックの壁面にはフランシス・ベーコン展のポスターが掲げてあります。クリニックの壁面にどのような絵を掲げるかは大した問題ではない、それは装飾に過ぎないから、というのも一つの考えです。しかし、そこに何らかのメッセージを込めることも出来るのではないかと思います。実際、このポスターを壁に掲げてから、これについて感想を述べられる患者さんがたくさんおられます。それはこのポスターの絵のインパクトが大きいということを表していると思います。この絵を素晴らしいと語る人もいれば、嫌悪感を述べる人もいます。もしかすると、こんな絵を掲げるクリニックには受診したくないと思って、何も言わずに去った方もおられるかもしれませんが、それも一つの考えでしょう。

さて、このベーコン展のポスターは、2009年にベーコンが生誕100年を迎えたことを記念して、ロンドンのテート・ギャラリー、ニューヨークのメトロポリタン美術館、マドリッドのプラド美術館を巡回した回顧展のものです。ベーコンをご存じでない方のために画家フランシス・ベーコンについて簡単に紹介したいと思います。フランシス・ベーコンFrancis Baconはイギリス人で、1909年にダブリンに生まれ、1992年にマドリッドで亡くなった、20世紀を代表する具象画家のひとりです。17世紀に活躍した哲学者と同姓同名ですが、関係はほとんどないと言われています。

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Francis Bacon (1909 –1992)

ベーコンは正式な絵の勉強をしていませんが、1930年代に急に頭角を現して世界的名声を博するようになった人です。その生き方は結構スキャンダラスなものだったと言われていますが、描かれた絵も、論議を呼びました。というのは、描かれているテーマは歪められた人物像が中心なのですが、暴力的であるとか、直接的で生々しいとか評されるからで、しばしば見るものを落ち着かなくさせる絵だとも言われます。また、テーマや物語を読み取ることが困難な絵とも、分からない絵とも言われます。しかし、だからこそ20世紀後半の時代を代表する画家の一人と目されるわけです。

クリニックに掲げてあるポスターの絵は、「ベラスケスによる教皇インノケンティウス10世の肖像に基づく習作」という題があり、1953年に制作されたものです。題名から、17世紀スペイン絵画の巨匠ベラスケスが1650年に描いた「教皇インノケンティウス10世の肖像」がもとになっていることが分かります。両者を見比べて見ましょう。

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左がベラスケスの絵であり、右がベーコンのものであることは一目瞭然でしょう。ただ、題名がなければ、両者が同じ人物であるとはとても思えないのではないでしょうか?ベラスケスの絵が、教皇のカリスマ性を表現したものであるのに対し、ベーコンの絵では、人物は何か柵のようなものに嵌め込まれており、縦方向の線によって放散しているようにも見えます。それだけではなく、人物は大きく口を開けており、何か叫んでいるようにも、苦しんでいるようにも見えます。崇高な教皇の肖像画には、全く見えません。両者を見比べて見ても、ベーコンがベラスケスの絵が気に入ってそのオマージュとして作品を描いたとはとても思えません。あえて言うなら、むしろベラスケスの絵を破壊しようとしている、と言えるかもしれません。実は、ベーコンは、このベラスケスの絵をもとにした作品を何十枚も描いています。ところが、ベーコンはベラスケスの絵を実際に見たことはなく、写真をもとにこの絵を描いたことが知られています。ベーコンがこの絵を描いたことの背景には、戦争の影響があったことや、父親との関係性が影響を及ぼしていることがある、と言われています。戦争の影響ということでは、第二次世界大戦において、世界中を暴力が荒れ狂った、ということがあります。この絵が、暴力にさらされた人間の弱さをあらわしている、ということは出来るかもしれません。父親との関係という点では、ベーコンは若い頃に父親から拒否されたことをトラウマと感じていたことが、「パパ」と呼ばれることもある教皇のイメージと重なっているとも言われます。また、その背後に同性愛的な渇望が表現されていると言われることもあります。ベーコンは、晩年になって、この一連の絵を描いたことを、つまらないことをした、と後悔したとも言われています。もっとも、ベーコンは、一見枠にとらわれない人のように振る舞いながら、相当意識的に行動する人であるので、彼の言うことをどこまで信用したらよいかは疑問です。この絵にしても、与える効果を計算ずくの作品である、と考えてよいように思います。絵の中の人物は破壊にさらされていますが、絵の構造自体は破壊されていません。

それでは、どうして私たちはこの絵をクリニックの壁面に掲げることにしたのでしょうか?この絵を眺めると、これは一体何を意味しているのか、この描かれた人物は誰で何をしているのか、この人物にはどうして枠がはめられており、口が開けられているのか、そもそもこの絵は美しいと言えるのだろうか、などといった様々な疑問が生じてくると思います。そこから、私たちの思考が掻き立てられます。だから皆さんもこのエッセイを読んでくださっているのだろうと思いますが、芸術作品は思考を引き出すことにこそ、その価値がある、と私たちは考えています。そして、思考することこそ、私たちがより豊かに生きていくための道具となりうると思っています。

クリニックに掲げてある他のポスターにも、着目していただくと有り難いと思っています。ベラスケスの別の絵を踏まえたポスターがもう一枚あります。

(文:館 直彦)