臨床コラム 大切に思っていること

心の問題や病気について最近はよく話題にもなりますし、知られるようになってきているように思っています。それでもどちらかと言えば心の病気のことはネガティブなことだと思われているのではないでしょうか?とかく人は光のほうに目を向けがちで、光が良いもので、影を無い方がよいもののようにみなしがちです。でも生きていく中には光があれば必ず影があるのです。どちらもあるのが当たり前ですし、どちらもあってこそバランスが良いのです。昼間しかなかったら?きっと疲れてしまいますよね。心が元気であるほうがもちろん良いのですが、元気でないときだってあるのです。以前に比べ、精神科クリニックへの受診のハードルは低くなってきたように思っていますが、それでもまだまだ、行ってみようと思うのにちょっと勇気のいる場所であるかもしれません。もしかしたら、このコラムは受診するかどうか迷っている方も読まれているかもしれませんね。風邪をひいたり、腰が痛くなったり、肌が荒れたりしたら病院へ行くように、心がしんどくなったら行ってみようと気軽に思っていただけたらと、思っています。

このコラムはテーマが何か与えられているわけではなく、特にありません。自由に、思いつくままに、自分の書きたいことを書けばよいのです。何でも良いのです。正解も間違いもありません。ですが、いざ書こうとすると何を書いて良いのやら・・・。自由って、本当に難しいものなのだと改めて感じさせられました。
当クリニックでは自分で自分のことを見つめ、考えることを大切にしています。私たちはカウンセリングの場でクライエントに思いつくままに自由に話してくださいとお伝えしますが、その自由に話すということが改めてなかなかに難しいことであること、そして、自由に話し、自分のことを考え、自分はいったい何者であるのかを知っていくその過程がとても価値のあることなのだ、とコラムを担当し、改めて感じさせられています。何かを書く時、話す時、何かを選び出して(書く、話す)、何かを捨てる(書かない、話さない)のですが、そんな時“自分”という感覚が必要になると思います。これは本当に些細なことをするときにも必要な感覚です。自分らしさとは何か、自分がどんなことを大事にしているのか、知っていないと、何かを選び、なすことは難しいのです。

例えば、私も生きるために(笑)ある程度の家事をしているのですが、これが難しい仕事だなあと感じています。”きり”がありません。ここまでで良い、という明確なラインはなく、どこまでやってもいいし、またやらなくてもいいのです。ちょっと掃除をしなくても死ぬわけではありません。掃除機は毎日、という人がいれば、一週間に一度という人もいる。全然しない人もいるでしょう。食事はいつも手作りという人がいるかと思えば、いつも外食、という人がいたり。じゃあ洗濯は??どれくらいで洗濯をしますか??正解はありますか?生活の仕方は本当に人の数だけあると言っても過言ではありません。そんな中で、自分はこれで良いんだと思えることが大切ですが、案外難しいことなのだと思っています。自分がないと感じていたり、見失ってしまっていたりすることで、生きにくさも感じることがあります。雫が一滴一滴ゆっくり落ちて、心を満たしていくように、ゆっくりと、じっくりと、自分とは何か、見つめ、考えてみることもかけがえのない時間だと思います。

最後に、以前ある専門家が、母親は家の中でただ笑顔でいればいい、子どもがこの人についていけば大丈夫だと思えることが大事なのだ、ということを言っておられたことを書いて締めくくりたいと思います。もちろん笑顔でいれば良いからといって、その場しのぎのつくり笑顔でいれば良いということではありません。自然と笑顔がにじみ出るためには、その人が楽しく、幸せな気持ちでいられることも大事だし、周囲の環境もとても大事です。何か具体的なことをすればうまくいくということではありませんから、かえって難しく感じる人もいるかもしれませんが、私はとても心に響きましたし、その通りなのではないか、と思いました。そして、私もいつか、この人についていけば大丈夫だと思えるようなおばあちゃんセラピストになりたい、と思いました。日常のありふれたことから、臨床から。どうしようもなくつらく悲しいことや、楽しく幸せで満たされたことなどから。いろんな何かを得て、経験を積み、人間味を深めていけるように、日々励んでいきたいと思っています。

(文:石崎利恵)