臨床コラム 「良い」「善い」「いい」

11月のコラムを担当と聞き、何を書こうかとネタを探していました。とある日、テレビ番組を見ているとき、こんな話が上がりました。11月は記念日が多いとのこと。その中でも「いい○○の日」は17個もありました。聞いたときは「へえ」で終わったんですが、ちょっと時間を空けると、気になることが出てきました。

「いい」って何だ?

「いい肉の日(11月29日)」は、良い肉を食べようね、肉に感謝しましょうねというニュアンスなのかなと思うんです。「いい買い物の日(11月11日)」は、恐らく自分にとって良い買い物をしましょうとか、企業側が顧客に良い買い物をしてもらうよう工夫をしましょうという意味があるんだろうなと思います。じゃあ、「いい夫婦の日(11月22日)」の「いい」って?「いいいろの日(11月16日)」の「いい」ってどういう意味のいい?…結局「いい」って何なの??と個人的に思ってしまったんですね。口で言うと「い」が二つ並んだだけの言葉ですが、そもそもどんな意味があるんでしょうね。

「いい」とは、望ましい状態を広く言う語。質が高いとか、上手いとか、美しいとか、良好とか。その一言に色んな意味があるよう。じゃあ、私たちが普段使う「いい」はどんな意味を含めているんでしょうね。「いい大学に~」とか「ちょっとでもいい~」とか「それいいね」ってよく使いません?何をもって「いい」って使ってるんでしょうね。「良い」はよい、優れている、素直。「善い」はめでたい、立派な、認める、大事にする。普段自分が使う「いい」はどの意味が一番近いでしょう?

「いい」についての意味がこんなに幅広いとなると、SNSでよくみられる「いいね」を、自分はどんな意味をもって押しているのかとも思います。要は何を言いたいのかというと、「その場の雰囲気に流されて押していない?」ってことです。別に「いいね」機能を批判したいわけではないんですよ。あの機能は気軽に「自分もそう思うよ」とか「よかったね」という気持ちを相手に伝えることができる便利なものだと思います。実際に自分もSNSをやっていると最初はそう感じていました。けど、だんだん疑問というか、違和感を抱いたんですよね。「いいね」を押す作業になっていないか?って。

作業になってしまうと、そこにその時感じる自分の気持ちは出てきにくいと思います。仕事ではその方がうまくいくだろうけど、仕事に関係ない場面、プライベートで果たしてそれはどうなのか?と自分で疑問に思ってしまったんですね。かといって、相手の投稿をみて自分がその時感動したとか、何か伝えたい思いがあるっていう意味を込めて「いいね」を押したとしても、結局それは相手に伝わらないんですよね。「いいねが押されました」というお知らせとカウントが稼がれていくだけ。何かだんだんSNS批判になってきましたね(笑)。どんなに便利な機能がついても、自分がその時体験した感情や気持ちを言葉や何か別のもので表現しないと、相手には自分の思いは伝わらないんだなあと思いました。

じゃあ、「いいね」と押される側はどうなんでしょう?色んな人から評価されてうれしい気持ちも出てきますよね。「いいね」の数が多くなればなるほど、高揚感にも駆られて楽しくなってくるなあとも思います。けど、「いいね」だけだと、だんだん物足りなくなるのかなあとも思います。まあ、人によるとは思いますが…。数が少なくなると、「みんなに受けなかったな」と思って、みんなに評価されるために、「よりいいものを投稿しよう」と、なぜか過去の自分に張り合ってしまう自分も出てくるかもしれないですね。純粋に楽しんでいたSNSの投稿が、だんだん数稼ぎ、評価を求めるものに変わってしまうかもしれません。

やっぱり、この文章を読んだ方は「この人、だいぶSNS嫌いなんだな」と思うかもしれません。違うんです。つらつら長いこと書いていますが、何を言いたかったのかというと、「その場の雰囲気に流されず、その時感じている自分の気持ちや感情の体験を大切にしていきたいよね」っていうことです。要は、自分のその時の気持ちに素直になろうよってことです。伝わりにくい!!つらつら書いていますが、これを書きながらも、「いい内容を書こう」とどこかで評価を気にする自分がいました。「いい」って難しいな。

(文:平井三喜)