臨床コラム くらやみの速さはどれくらい

 7~8年前に、私がカウンセラーとして働き始めた当時から、「発達障害」の診断や治療を求めて受診する方は多く、最近でもその傾向は増加の一途をたどっています。中でも幼少期には分からなかったものの、成人になってから発達障害ではないかと思い受診したという「大人の発達障害」の方が少なくありません。カウンセリングやセミナーなどを通じて、そのような方々と接する機会が多いのですが、結局のところ「発達障害」とはどのようなものなのか、立ち止まって考えてみることがしばらくなかったような気がします。

 最近読んだ小説に自閉症のことが取り扱われていました。その小説とは、英国の作家エリザベス・ムーンによるSF小説『くらやみの速さはどれくらい』(早川書房,2008)です。

 本書の主人公ルウは、自閉症を持つ中年男性ですが、大企業で働きながら社会生活を送り、自閉症者のみで構成される部署で、健常者とのコミュニケーションに悩みながらも、不自由なく暮らしていました。物語における近未来では、自閉症に関する画期的な治療法が開発され、幼児期であれば治療可能なものとなっていました。ただしルウは、一つ前の世代で、トレーニングによって症状を緩和していますが、根本的な治療を受けているわけではありませんでした。

 ルウは、ある程度の社会生活を送る能力を備えており、アスペルガー症候群に類する人物であることがうかがえます。彼はどんなに複雑な物事の中にも、何かしらのパターンや法則性を見出すことができるという才能を持ち、会社の経費削減に有効な方策を打ち出し、趣味のフェンシングでは相手の動きのパターンを分析して戦い、好成績を収めます。彼は障害者として扱われていますが、親しい人々の中には彼の才能を認め、それを貴重なものだと考えている人たちもいます。

 あるとき、彼らのような成人の自閉症者を完璧に治療できるかもしれない治療法が新たに開発されます。彼らに対する特別な設備や配慮を不要なものと考えている会社のボスは、彼らにこの治療法の被験者となるよう強要します。ルウの直属の上司は、ボスの意向に表立って逆らうことはできず、彼らを被験者とすることに同意せざるを得ません。とはいえ、その治療法は試験的な段階のもので、成功するかどうかは大きな賭けでした。ルウは会社だけではなく、フェンシングサークルやカウンセリングセンター、教会などで彼を取り巻く人々とそこで発生する事件を通して、様々な人々の思いに触れながら、最終的に自らの判断を下すのでした…。

 本書の面白さの一つは、自閉症を持つ人々が見ている世界と、普通の人々が見ている世界とが微妙に異なっている様子を、綿密な描写によって浮き彫りにしているところです。例えばルウは、曖昧な表現やジョークに応じることができず、相手の気遣いや慰めの言葉が、なぜそんなことを言う必要があるのか分かりません。彼は論理的に辻褄が合わない非合理な人間的反応というものを根本的には理解できません。それが無用なことに感じられる一方で羨ましくもあり、自分もそのような普通の人間になりたいと考えます。反対に、彼を取り巻く人々の中には、ルウの才能に嫉妬したり、彼を障害者という枠に当てはめて分かったつもりになっている人たちがいますが、彼ら自身はそのことについて無自覚です。

 話は変わりますが、「定型発達症候群」という考え方があるそうです。自閉症スペクトラム症と診断された海外の一般女性が創作した言葉ですが、発達障害からみた普通の人々の姿をあらわしたたとえ話のようなものです。定型発達の人は、はっきり本音を言うのが苦手で嘘をつく、周囲と協調することが何より重要だと考えていて、他者との違いに敏感である。集団でいると柔軟性がなくなり偉そうにする、など。発達障害の人からみれば、普通の人たちの物事の捉え方こそ異様なものに感じられるでしょう。当たり前のことですが、発達障害に限らず、同じ空間にいて同じものを見ていたとしても、同じことを感じていると言える根拠はどこにもないのです。自分の見ている世界だけが絶対的なものとは限らない、ということを改めて考えさせられますね。

 最後に、タイトルとなっている「くらやみの速さはどれくらい」という言葉ですが、作家はインタビューで自閉症の息子とのやりとりを紹介しています。

“部屋の戸口に寄りかかって息子が訊いたのです。「光の速さが、秒速十八万六千マイルだとしたら、暗闇の速さはどれくらいなの?」それに対して私はふつうに「暗闇に速さはないのよ」と答えました。すると、息子は「暗闇のほうが速いはずだよ。だって最初に暗闇があるんだから」と言ったのです。”

 光に速度があるなら暗闇にも速度があるのか、それは光より早い速度で移動しているのか、あるいは暗闇とはないものを示す言葉に過ぎないのか。正しいかどうかは置いておくとして、そのような問いを持てることは魅力的なことに違いないでしょう。

(文:浪花佑典)