臨床コラム アニメに見る臨床心理学②

 2007年に放送されていたアニメに、『モノノ怪』という作品がありました。話の大枠は、主人公である謎の男・薬売りが、退魔の剣でモノノ怪(人の情念や怨念に妖が憑りついたもの)を斬るというものです。退魔の剣を使うためには、モノノ怪の「真(まこと):事のありさま」と「理(ことわり):心のありさま」と「形(かたち)」を明らかにしなければなりません。

 今回は、「のっぺらぼう」の回を取り上げたいと思います。この回は、お蝶という女性の話でした。彼女は、嫁いだ家の一家を殺した罪で牢に入れられていました。しかし、この事件の証言や証拠はなく、彼女自身も自分がどうやって殺したのかを忘れてしまっているなど、あいまいなことが多いものでした。事件の背景にモノノ怪が存在していると考えた薬売りは、真と理と形を明らかにしようとするのですが、彼女を救い出すために生まれたという狐面の男が、邪魔をするのでした。

 そこで、薬売りは、「お蝶の一生」を芝居にして見せるという形で、彼女に自身のことを振り返らせていきました。そうすると、母親との関係や、嫁いでからの生活の中に、手がかりがあることが分かってきました。また、芝居には、彼女の心や無意識の世界も描かれていました。それらを知ることが、真と理と形を明らかにするため必要なことでした。

①母親との関係

 母親はお家再興のために、お蝶が武家の家に嫁ぐことを望み、幼い頃から厳しく躾けてきました。彼女は、母親のことが「大好きだった」から、喜んでほしくて、芸事の稽古を頑張り、嫁いだ先では奥方とは言いがたい扱いを受けながらも耐えていました。

 2人がやりとりする場面では、それぞれの顔にお面をしていることがありました。これは、母親はお蝶のことを見ているようで見ていない、お蝶も母親の望みのために隠している心があるということの暗喩であると考えられます。

②嫁いでからの生活

 お蝶は、嫁いだ家の中を牢の中だと思い込み、それ故に閉じ込められている、逃れられないものだと思っていました。自身を貶す声や嘲る声にさらされながらも、ずっと耐えていました。そんな彼女の前に現れたのが、狐面の男でした。彼は、一家を殺すための手引きをする、結婚を持ちかけるという風にして、「(彼女の中に)澱のように溜まっていく毒」を吐き出させようとしました。

では、真と理と形は何だったのでしょうか?

真:モノノ怪が狐面の男を操り、お蝶を欺き、嫁いだ家に縛りつけた

理:母親のいびつな愛情を受け止めようとしてお蝶の心は歪んだ

形:お蝶の心に妖が憑りつき、モノノ怪となった

 お蝶が殺したのは、自分の心でした。母親の望みを叶えるために、芸事の稽古を投げ出さず、嫁いだ家から逃げ出さずに耐えてきましたが、その中で感じてしまったり、気付いてしまったりすると、不快や不都合が生じてしまう心を無意識の中に押し込めた(=殺した)と考えることができます。その心とは、自身の存在を蔑ろにされる怒りや寂しさであったかもしれません。また、母親に対する思いには、自分が好きなことをしたい、話をちゃんと聞いてほしいといったものもあり、知ってしまうと、従順な子、いい子でいられなくなって、彼女自身が困ってしまうというものでした。そういった心に妖が憑りつき、モノノ怪となりました。

 狐面の男は、お蝶を救うために立ち回っていましたが、実のところは、彼女の無意識が作りあげた存在であり、空想であると言えそうです。彼女は、心が軽くなったという感覚をもてていましたが、それは自分で自分を慰めることによって得られた感覚でした。ほんとうは、自分の内面や心まで目を向けて、大事にしてほしい、愛してほしいと、モノノ怪となってまで訴える彼女がいたのだと思います。

 真と理と形が明らかになったことで、退魔の剣でモノノ怪は斬られてしまうのですが、その後の彼女がどうなったのかはあいまいにされており、見ている私たちの想像に委ねられています。心や無意識について焦点を当ててみましたが、人の心を理解することは一筋縄ではいかないものです。また、自分の心を知るためには、見ないようにしているものを見ることもあり、時に苦しみや痛みを伴うものでもあることに気付かされます。

 私たちも、自分の気持ちを抑えるといったことは、よくあることかもしれないですし、時と場合によっては必要なこともあります。しかし、過度になってしまうと、生きづらくなってしまいます。自分の心を殺すことが繰り返されると、いつの間にか自分の思いや主張をもたなくなる、自分のほんとうの顔が分からなくなるということになりかねません。それが、「のっぺらぼう」の話で伝えたかったことの1つでもあるのかなと思っています。

(文:松岡恵里佳)