臨床コラム ヴァーチャル世界の入口から

 前回,お母さんが子どもに送る目配せが,これから「嘘っこ」に入るよという遊びへの誘いになっているという観察の話をしました。このようにこれからなされることがどういう性質のものかを暗黙に伝える行為にわたしたちの交流世界は満ちています。メッセージの性質を規定するメタメッセージと呼ばれるものです。

 宗教学者のエリアーデ,M.は,「聖なるもの」の起原について境界で区切るという行為に着目しました。「聖性」を帯びる領域は周囲の空間から区切られて「俗」から切り離されることを要件としているということです。誰がどのように線を引く行為をなすかということ(メタメッセージ)によってその効力に違いはあるかもしれませんが,その宣告の中核には結界づくりという単一の行為だけがあるというわけです。結界の内部では,たとえば「女人禁制」のタブーなど宗派独自の教義や戒律が人々によって守られることになります。線を引くことによって囲い込まれた空間が特別の意味をもち,その中でなされる私たちの心的体験は日常の現実生活から切り離されて独特の精神性(スリリチュアリティー)を生じさせるのです。儀式的な行為となった「線引き」は,それ自体で私たちの心的体験を引き出すのです(おごそかさ,敬虔さなど)。実際的な一つの行為が心的体験を通して人間的な意味を作り出してしまうところに哲学者たちは人間における「超越性」を見出してきました。ヴァーチュアル・リアリティーと遊び,信念をとりあげて,現実を超えた心的体験が成り立つのは,そこで実現するものはすでに人の内部に準備されていったものがそこに結実するということを強調したいと思いました。

 ヴァーチュアル・リアリティーに関しては,いかに現実にあるものを摸すかというテクニカルな進歩が取り上げられることが多いですが,知覚的にはそれらしくないもの,それ自体はひとつの行為に過ぎないものに対して,人が意味を作り出してしまうことのほうが面白くありませんか。

(文責:弘田洋二)