臨床コラム 会うカウンセリングとオンライン・カウンセリング

 2回目の緊急事態宣言も解除された一方で、変異株もちらほら出てきていて、私たちはまだまだコロナ禍の真っ只中。この1年でオンライン化が随分進み、学校の授業や仕事、カウンセリングもオンラインが選択肢として広がった感じがします。

 会わないカウンセリング自体は今に始まったわけではなく、実は昔から行われていました。Freudの時代は手紙で、1950年代は電話。1960年代はビデオセット、1990年代はショートメッセージ。こういった、会わないカウンセリングは1980年代から増えていったようです。そして今はオンライン。そこでやっぱり気になるのは、オンライン・カウンセリングってどうなの?ってことだと思います。当たり前ですが、アクセスが良く、接触による感染のリスクを下げながら、これまで通り「会う」ことができます。研究によっては、オンライン・カウンセリングと会うカウンセリングの効果はそれほど変わらないとするものもあります。効果が変わらないのに、なぜ、私たちは直接会う必要があるのでしょう?

 いくつか理由はありますが、一番は会うカウンセリングの方が情報量が多いことだと私は思います。直接お会いしている時、見ていないようで見ていたりしますし、聞いていないようで聞いています。色んな情報を手がかりに、クライエントがどんなことを感じていて、どんなイメージや空想をもっていて、どんなことを考えているのかに想いを巡らせています。機械越しの音や映像はどこかのっぺりしていて、空気感をとらえにくいですし、同じものを体験していないのではないかと私は思います。少なくとも空間を共有していません。クライエントが面接室に来るまでの道のりでの体験が省かれることも挙げられます。それから、直接会っていれば考えなくていいことを考える必要も出てきます。例えば、音や映像が途切れた時、クライエントが止めたのか、私がPCのどこかにあたって切ってしまったのか、それともネット回線が不安定だからなのか。また、技術的な対処に時間をとられてもしまいます。カウンセリングは、クライエントが自分について考える場所なのに、私はネット回線のことを考えたくありません。

 さっきからカウンセラー側のやりづらさの話ばかりじゃないか、と思われるかもしれません。実際そうなんですけど、カウンセリングの基盤には、クライエントとカウンセラーの関係性があります。関係性の中で理解を深めていくので、カウンセラーが感じるやりづらさはきっとクライエントにも影響があるはずです。今のところ、オンライン・カウンセリングは補助的な方法としては魅力的ですが、会うカウンセリングにとって代わることはできないだろうな、と私は思っています。とはいえ、オンライン・カウンセリングは会えない状況でも「会う」ことを続けられますし、続けていくことにも意味があるとも思います。(早くマスクをつけずに、あるいはプラスチックの板を挟まずに誰かと会うことができる日がこないかなぁとため息をつきつつ。)

(文責:奥田久紗子)