臨床コラム 喪失体験とその心理

 『会うは別れの始めなり』とは、出会いは必ず別れがあるという世の常で、別れの悲しみなど人生のはかなさをあらわし、それは出会う喜びがあったからこそです。始めがあれば終わりがあり、別れがくるまでの時間を大切にするという意味が込められています。ここでは、別れをはじめとして喪失体験とその心理について述べてみましょう。

 喪失となる体験は人物だけとは限らず、いろいろな喪失があります。親密感や一体感を抱いている人物、たとえば家族や友人との死別、失恋など親しい人との別れに私たちは深い悲しみに沈みます。長い間、共に家族同様のように伴侶動物(コンパニオンアニマル)として生活してきた動物の死も家族や友人の死と同様に辛いものです。「ペットロス」あるいは「ペットロス症候群」は、最近よく耳にします。他にも、自分の身体の一部を事故や病気で失う機能障害、思い描く自己イメージが崩れてしまう体験、大切に使って親しんでいた道具を失くすや壊れるなども喪失体験です。

 人生は喪失の繰り返しで、自分にとって大切な対象を失う体験は避けることができません。このように愛着した対象を失うことを「対象喪失」といいます。対象喪失への悲しみ、思慕の情だけでなく、無力感、悔い、さらには寂しさ、孤独も感じるでしょう。こうした体験は自然な感情のプロセスです。精神分析の創始者であるフロイトは、失ったその心を消化していく過程を「喪の仕事(悲哀の仕事)」とよびました。

 突然の別れでは喪失した事実さえも拒絶する時があります。喪失によってもたらされた悲しみ、思慕という感情とともに、置いていかれた、見捨てられたなどの腹立ちなど複雑な思いが感じられてきます。やがて喪失の事実を認めていくようになると、対象喪失の受け入れと対象希求の断念がみられ、強い喪失感、無力感、失意で心は重く心的苦痛を感じます。こうしたさまざまな感情を繰り返しますが、やがてとらわれていた気持ちは変化し、対象に感謝、償いの気持ちが新たに生じて「懐かしさ」として感じられるようになります。このように失われた対象に向けていたさまざまな感情が整理され、「悲哀の仕事」が終わります。

 体験を整理しうる行為として、私たちは生活の中でいろいろな儀式を行っています。たとえば、葬式、四十九日、一周忌などは時間の経過に合わせて何度も行い、死者に別れを告げて残された者が過去から未来への心を整理する営みになります。卒業式もそれまで慣れ親しんだ学校や友人と別れ、新しい世界に旅立つ儀式です。

 このように喪失をめぐる悲しみに向かい合い、その体験について考えることは心の痛みに耐える力、喪失・失敗から学ぶ能力など心に成長をもたらします。

(文:鈴木千枝子)