臨床コラム 大丈夫?心の中のゆとりの空間

新しい年度に変わって、もう1か月が過ぎました。いかがですか? 新しい環境に馴染んでこられた頃でしょうか? それとも、思っていた環境と違って、戸惑いや不安が膨らんできているでしょうか。 あるいは勉強や課題がありすぎて、それどころではないとか・・?
緊張していても、不安を抱えていても、思い通りにならないことだらけの現実に打ちのめされそうになっていたとしても、自分らしく過ごせるゆとりの空間があると、その緊張感や不安感や焦燥感などのストレスを程よくゆるめて、苦い思いも痛い体験も全てを自分の経験として組み込みながら、人として心を耕していかれるのだろうと思います。

ところが、人生という時間の流れの中では、ときに自分をとりまく環境の中に居場所がないと感じてしまうことが起こったり、自分の心とは裏腹に偽りの自分を作らなければおれない状況におかれたりすることがあります。どんなに頑張っても認めてもらえていないように感じたり、心底自分が情けなく思うことがあったり、深い悲しみの中に陥って苦悩に苛まれたりすることがあります。
そうなると、どんなに健康的で豊かな良い部分を持っていたとしても、自分の良いところは見えなくなってしまいます。そして、どんどんと自分を追い込んで、ダメな部分にばかり目が向いて、結果として自分に自信が持てない心の状態に陥ってしまいます。そうなると、心は風船がしぼんでしまうように硬く小さくなって、心のゆとりはもうどこにも見当たらなくなってしまいます。それは、たまらなく息苦しくて辛い状態です。
心の底から湧き上がってくるこれらの苦しくてやりきれない気持ちに、自分でもどうすることもできなくなってくると、痛む心を切り離そうとしたり、意識に上らないように蓋をしようとしたり、気にしないように敢えて楽しく明るく振る舞おうと努めたり・・と、私たちは自分が壊れないようにさまざまに対処しようとします。自分の心を護るための精一杯の防衛です。ところが、それでも何かがうまくいかなくて、生活しづらくなることが続いてしまうことがあります。

私たちのクリニックを尋ねて来られる時は、多分、そういう時です。自分一人では見いだせなくなった、本来の自分らしさを心が探し始めた時だと思います。そして、自分の心を自分自身で包めるように・・と、そう願って心が動いた時でもあるのだろうと思います。

面接室は心の空間に

だからこそ、クリニックを最初に訪れようと思い立たれたクライエントの方たちのその時の気持ちを何よりも大切にして、私たちは面接室の中で心に向き合う時間を重ねていきます。面接室は、いつしか現実の生活から少し離れて、自分や自分の心を見つめる空間になっていきます。それは、現実にある空間なのに現実から離れていて、現実の他人と一緒にいるのに、心の中の大切な人のようにも思えてきたりするという、不思議な心の空間になっていくのです。これは体験した人にしかわからない不思議な空間でしょうが、面接室という現実と心の間にある時間と空間で、ゆっくりと心に向き合っていくことで、次第に自分という存在に関心が注がれて自分の心を抱えることができるようになっていきます。

それは、決して明るくて楽しいだけの空間ではありません。なぜなら、その人それぞれに抱えてこられた心の空間を一緒に見つめているからです。それでも、誰かと一緒にその作業をすることで、心の中に息づいていた、気づいてもらえていなかった心の部分(体験や気持ち)などにも関心が注がれて、自分の心をゆったりと包むことができるようになるかもしれません。心の中にゆとりの空間を取り戻せるようになると、現実の生活の中でのストレスにも程よく対処できるようになっていかれるかもしれません。
そうなると、もうカウンセリングという面接室の時空間は不要になるかもしれませんね。それは、面接室という特殊な空間での体験をとおして、その人の心の中に取り入れられて、心のゆとりの空間を持てるようになっておられるからでしょう。そこに行きつくまでには、抱えてこられる心の状態によって、それぞれに時間がかかるかもしれません。それでも、心にゆとりの空間がもてるようになると、少しだけ生きやすくなるのではないかな・・と思っています。これは、私の勝手な想いかもしれませんが・・。

さて、あなたの心のゆとりの空間、大丈夫ですか? もし、心にゆとりがなくなって、心が苦しくなってきたなあ・・と思われた時は、一度私たちのクリニックをノックしてみてください。 一緒にあなたの大切な心を見つめながら、不思議な心の空間を体験してみませんか。

(文:川野由子)