臨床コラム 手紙

 相手に伝えたいことを面と向かって直接伝えられない時,電話やF A X以外,パソコンやスマートフォンを使って伝えることができる時代になった。人との接触を極力避けねばならない“コロナ禍”という現状を,いま私たちは生きている。通信機器の進化は,人と接触せずとも,個人の声ばかりでなく,個人の姿をも相手に届けることを可能にした。そのような時代になっても,手紙を封筒の中に入れて,あて先とあて名と差出人の住所・名前を書いて,切手を貼ってポストに投函して配達してもらう,という通信手段が残っている。

 偶然なのかどうかはさておき,1ヵ月の間に,私は,3通の手紙をもらう経験をした。病気療養中によりカウンセリングを休んでいるかた,過去にカウンセリングを受けていたかた,そして,カウンセリングを始めたばかりのかた,この3人からである。手紙をもらうことがなぜ重なったのだろう?と心の中で考える日が続いたが,よくわからないままだった。精神療法家にこの話をしたところ,「手紙って,カウンセリングみたいなものだよね」と返され,ハッとした。言われてみると,手紙は,手にとって触れることができるものだし,手紙にしたためられた文字に目で触れることができる。差出人が選んだ便せんや封筒,手紙の枚数,書体,そして私に伝えたいこと。手紙には,すくいあげることがたくさん散りばめられていて,まるで臨床場面と同じじゃないか,と気づかされた瞬間だった。

 京都アニメーションが制作した『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメがある。文字を書くことができず,自分の代わりに手紙を書いて欲しい人(依頼人)が,自動手記人形と称する人にタイプライターを使って代筆してもらうという設定で,主人公が「愛してる」を知っていく物語である。なぜ,人は手紙を書いて相手に送るのか,その意味を深く考えさせられる内容に,私の心は魅了され,次のことばが想起された。「相手がことばにできないことを,私たち心理臨床家はぎりぎりまでことばにしなければならない」…これは,ある精神分析家がセミナーで言ったことばである。自動手記人形が依頼人の想いをすくいあげて手紙にする,という一連のプロセスは,カウンセリング場面で,クライエントが私に伝えたいことをすくいあげてことばにすることに似ている,と思える。カウンセリングは,相手がいなければすることができないし,手紙をもらうという経験も,差出人という相手がいなければできないことだな,と改めて思った。

(文責:作山洋子)