臨床コラム 漫画を素材に思うこと

私の好きな漫画家の1人に、市川春子さんがいます。

現在は、『宝石の国』という長編を連載していますが、これまでに、『虫と歌 市川春子作品集』・『25時のバカンス 市川春子作品集Ⅱ』という2冊の作品集が出ています。

作品集を読むと、言葉にはしがたい不思議な気持ちになるのですが、そこが魅力の1つだなと思うのです。登場人物の言葉が心に響くことがあったり、画や間合いなどから、光の輝き、夜の静けさといった、そこにいる訳ではないのに体験しているかのように錯覚することがあったりします。そういった体験ができるから好きだと思えるのかもしれません。

どのお話も、人間と人間でないものが出てきますが、あるインタビューの中で彼女は、自分と他人との間にある距離を、人間と非人間的なものの隔たりに置き換えていると話しています。

『月の葬式』というお話には、男子高校生とひとりの青年が出てきます。

高校生は、勉強も親の期待もすぐにわかってしまうほど天才で、医者になって親の病院を継ぐというレールの敷かれた道を歩んでいくこともわかっていました。青年の正体は、月の国の王子です。ある日、皮膚が硬化してはがれ落ちていくという病が流行ります。地球の環境下であれば進行がゆっくりになるため、避暑と静養に来ていましたが、その事実が明らかになった時に生き残っていたのは彼だけでした。

彼らは、雪深い北の果ての町で出会い、ひょんなことから疑似兄弟として共に過ごすことになります。

暮らしてきた世界が違う者同士、文化や常識が違っています。また、姿や形は似ていても、体の構造は同じではありません。そんな2人が言葉を交わすと、戸惑いや驚きなど、予測もできない体験をお互いにもたらします。

2人が出会う場所にも意味があるような気がしています。「北の果て」、「地獄」という言葉が用いられますが、孤独でひとりぼっちであるということを例えているのではないかと想像します。天才高校生という枠にはめられてしまうと、自分の正体を偽って過ごしていると、自分が何者であるかだんだんとわからなくなってきます。それはすごく寂しくて、苦しいことではないかと思います。

疑似兄弟として過ごすことは、彼らにさまざまな情緒や感覚を引き起こすものになっていると思います。初めて物忘れをしてしまったり、月の秘密を話したくなったり、意図せず変化が起こっていることも見て取れます。また、いつの間にか、一緒にいることは居心地が良く、上手く呼吸ができない状態だったのが、呼吸しやすくなってくるのです。埋もれてしまいそうな自分も息を吹き返し、その人らしさが出てきます。

自分と他人とは異なる別個の存在だけど、言葉を交わしたり、同じ空間や時間の中で体験を共にしたりすることで、どんな人かを知っていくことや、関係に変化をもたらすことができる、隔たりをなくしてつながることができるという可能性を、このお話は示しているのかもしれません。

(文:松岡恵里佳)