臨床コラム 私の知らない私

『「こころ」はだれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える』『「思い」は見えないけれど、「思いやり」はだれにでも見える』いうACジャパンのCMは、7年前の東日本大震災後にテレビで毎日のように流れていました。おなじみとなった言葉です。皆さんは憶えていますか。これは、詩人 宮澤章二(2010)『行為の意味』から抜粋です。
確かに「こころ」はだれにも見えず、形も分からない、直接には触れられない。しかし、心の触れ合いは出来るのです。
こころとは何かと改めて考えてみると、知っているようで知らない。私たちは自分のことをどれほど知っているでしょうか。“私の知らない私”がいるのです。

知っている私と知らない私:意識と無意識
フロイト(精神分析の創始者)は、人間のこころというものは氷山みたいなもので、水面上に現れて見えている意識は、そのほんの一部分に過ぎない。心の大部分は、水面下の見えないところに隠されていて、そこは無意識であると考えました。
無意識はどのように我々の日常に現れるのでしょうか。

私、どうして間違えるの?:失錯行為
意識的な意図とそれを妨害する無意識的意図との葛藤による失錯行為とは、当初意図したものと異なる言動をいいます。言い間違え、読み違え、書き間違え、やり損ない、ど忘れなどがあります。皆さんにも経験があるでしょう。
フロイトはこのように日常生活の諸現象にも、無意識があることを研究しました。
難しい問題で長引きそうな会議の議長にあなたが選ばれたとしましょう。会議の開会を告げるはずが、「閉会します。」と言ってしまいました。そう言ってしまったこころの奥には、今日の会議はたいへんだ、早く終わりたいなどの思いがあり、自分では気づかないこころの力によって動かされて「閉会します。」と言ってしまったのでしょう。このようなことに目を向けると、われわれの言動には自分自身の自覚しない無意識の力が働いているかが理解できるでしょう。

思いもよらない夢を見てしまう私:夢形成のメカニズム
いい夢だけを見る方法はあるのでしょうか。残念ながらありません。
フロイトは「夢は無意識への王道である」としての夢に注目しました。夢には自分のこころのことが反映されやすいのです。私たちが眠ったときに見る夢は、無意識の断片として重要な意味を持っており、無意識を知るための手掛かりを与えてくれます。
フロイトは、夢について昼間に体験されていたものの何かが片隅に残っていて、それが刺激になり、主に最近の出来事や身体感覚などと合成されて作られると考えました。さらに、夢を形成するのは潜在的な思考であり、主に無意識に存在する願望が睡眠で抑圧が弱まったために浮上した内容であると論究しました。夢が記憶される際には、検閲(というこころの番人が見張っている)の働きによって歪曲され、顕在夢が形成されます。それが、私たちが記憶している夢なのです。

知らない間に私を守る無意識のメカニズム:防衛機制
日々、私たちは葛藤・不安・恐怖などにさらされています。しかしながら、私たちはそれらに何とか対処して生活しています。危機的状況から心理的に身を守るために無意識のうちに働くのが「防衛機制」です。
これについては、2017年12月のコラム(担当:由良 笑)に詳しく述べられていますので、参考になさってください。

引用文献
宮澤章二(2010)行為の意味―青春前期のきみたちに ごま書房新社

(文:鈴木千枝子)