臨床コラム 美術館で絵を見ることと、カウンセリング

いきなりですが、美術館はお好きですか? 美術館は色々な楽しみ方があると思います。解説文をしっかり読んでから絵を見る人、絵だけ見る人、どんな画材で描かれているんだろうとか、作家はどんな気持ちだったんだろう?と考えながら見る人もいるかもしれません。最近では、一部の作品を撮影できる展覧会もあるので、SNS映えのために行く人もいるかもしれません。

私は、一応順路は守りますが、展示順にこだわらず、人の頭が少ないところから見たりすることが多いです。解説文を流し読み程度に読んで、ぼーっと絵を眺めて、気に入った絵は他のよりじっくり見たり、自分の中に湧いてきた考えや感情に身を任せたり、そこからなぜだかよくわからないけれど思い出したことなどに思いを馳せます。絵を見ているようで見ていない、見ていないようで見ている、そんな感じです。ある時、いつものようにふらふらと展示物から展示物へ移動している時に、ふと、「この感覚を私は他のどこかで体験している、これに似たことを知っている」と思いました。そして、カウンセリング中の感じに似ていると気づきました。

フロイトは、精神分析を始める前に患者にこんなことを言ったそうです。

あなたの発言に一貫している話の道筋を維持しようとなさるのは当然で、沸き起こってくる邪魔な考えや脇道にそれた話題をはねのけて、要点からあまり遠くにさまよい出ないようになさっていることでしょう (中略)こんなことやあんなことはここで話すにはふさわしくないとか、とるに足りないとか、ナンセンスだとかいうことで、ここで話す必要などはない、とこころのなかで言いたくなるかもしれません。(中略)むしろ、言うことに嫌気を感じるからこそ、あなたはそれを言わなければならないのです。(中略)例えば、あなたが列車の窓際に座る旅行者だとして車両の内部の人に窓から見える移り変わる景色を描写して聞かせるようにしてみてください。

要するに、カウンセリングの中では、「筋道立てて話すことよりも、頭の中に思い浮かんだことをもれなく、思いつくまま話してくださいね。話しづらいなと思ったり、関係ないかなと思うことこそ、話していただきたいのです」ということです。この文章と、私が美術館で体験していることを比べてみると、一貫した話の筋というのは、キュレーターが設定した展覧会のテーマと展示の仕方といえます。それを維持しようとするのは、順路通り、展示された順番通りに見ることに相当します。沸き起こってくる邪魔な考えや脇道にそれた話題、言いづらいと感じることは、自分の中に湧いてきた考えや感情、そこからなぜだかよくわからないけれど思い出したことなどがこれにあたると考えられます。そういったことを、私は絵を見ながら口にするわけではありませんが、そのまま身を任せています。ここで起きているのは、絵を見ることで、絵から差し出された「何か」に私の中の「何か」が刺激されて、色々と連想が膨らんでいる状態であるといえます。それは、絵を見ているのか見ていないのか、そういうふわっと見ている、考えている、というような状態だから起こっていることだと思います。もし、「絵の題材、使っている画材、筆致、描かれた背景まできちんと記憶するんだ!」という姿勢で見ていたらきっとこんなことは起こらないはずです。

 カウンセリングはクライエントが自分自身について考える場である以上、セラピストの役割の一つはクライエントが自分について考えることをサポートすることだと私は考えています。とすると、「何か」を差し出し、クライエントの中の「何か」を刺激するということも一つの役割なのではないかと思います。絵は「何か」を感じたり考えたりすることはできませんが、絵を見て、それに触発されて自分のことに思いを馳せるような、カウンセリングがみなさんにとってそういう時間になればいいなぁと思います。

(文:奧田久紗子)