臨床コラム 荒川修作と死なないこと Shusaku Arakawa and Surviving

 ジブリ美術館で有名な東京都三鷹市に、その特殊な建造物はある。極彩色と歪な建築構造。およそ居住には適さないようなデザイン。名称を「三鷹天命反転住宅In Memory of Helen Keller」と言う。作者は荒川修作とマドリン・ギンズ。その破天荒なエピソードは枚挙にいとまがない。ちょっと検索をかけて出てくるものを挙げてみよう。

1)荒川は一時期ニューヨークでミュージシャンのボブ・ディランと住んでいた。なかなか荒川に認められないディランは「自分は割と有名なんだよ」と自分の作品レコードを荒川に示した。すると荒川は「こんなものクソだ」と言いながら窓からレコードを投げ捨てた。

2)「太陽の塔」で知られる岡本太郎に荒川は気に入られていた。ある日、荒川は岡本から作家の三島由紀夫を紹介された。三島から作品をいくつか手渡された荒川は、「くだらない」と吐き捨てて窓からそれらを投げ捨てた。荒川と三島は大ゲンカした。

3) 駅員に50円玉を渡して「1万円」と言った。駅員は「いや、これは50円ですよ」と返した。しかし荒川は「これは1万円だ」と言い張った。駅員は再度「これは50円玉です」と返答した。荒川は「1万円だ」と言って食い下がった。しまいに駅員は不安になり、上司のもとに行って「これ、50円玉ですよね?」と確認した。

4)生活の中でこそ自著に触れてほしい荒川は自身の著作『建築する身体』を本という媒体ではなく、トイレットペーパーという媒体でも発表した。

 こうしたエピソードから窺い知れるのは、荒川修作という男はちょっと(いや相当に)変わっているということだ。「すべての西洋哲学はウソばっかり言っている」と批判したことからわかるように、彼は前言語的な体験というものが言語にされることを拒絶した。「わかった気になること」が気に入らなかった。のみならず、常識や社会通念というものさえも嫌っていたのだろう。その最たる例として、彼は「死ぬのは法律違反です」と放った。

「生きとし生けるものは死ぬ。人間は生き物である。ゆえに人間は死ぬ。」というような三段論法的な推論にあるように、人が死ぬ運命にあるのは自明である。ところが、荒川はこの理に我慢ならなかった。「なんで死ななくちゃいけないんだ」と。「死ぬのはおかしい」と。彼は必死になって死なないための術を模索した。結果、たどり着いた結論が具現化される形で、三鷹や岐阜県養老町に建築物が建てられた。「天命反転Reversible Destiny」と冠されて。

 天命反転住宅に住むと、死ぬという天命が反転し、他人は死なないですむ。「ここに住むと人は死なないんだよ」と荒川は信じていた。いや、確信していた。

 その内部の構造は私たちが日頃快適と感じている居住デザインとは一線を画す。部屋の電気のスイッチが足元にあったり、床がフラットではなく波打っていたり、声が反響するような部屋の作りだったり。ここで過ごすと、むしろ私たちが快適と想定していた設えが、わたしたちから生きる自由を剥奪しているのではないかという思いに駆られる。人間という有機体のその自由な動きが制限され、一定の動線に沿って行動するように誘導され、生体のリズムが限局されていることに気づかされる。

 これは机上の空論、絵に描いた餅、象牙の塔ではない。有機体の運動、その重要性が凝縮された形で体現されている。現代の知を代表する物理学者である池上高志によれば、生命の起源は「動き」にあるらしい。生命の起源はいまだ不明である。この地球という惑星に初めて生命が誕生したその瞬間のことを私たちはまだはっきりとはわかっていないようだ。その瞬間を理解する際のキーワードが「動き」にある。

 自転車の乗り方を例にとってみよう。自転車に乗るにはどうすればいいのか、それを言葉で説明できる人はいるだろうか。寡聞にして私は知らない。一応、それらしいことを説明はできるのだろうけれども、自転車に乗れない人がその説明を聞いて「わかった、やってみる」と言って、一発で自転車に乗れることはたぶんないだろう。こうした言葉にならない知識を、マイケル・ポランニーは「暗黙知」と表現した。実際に身体を動かしてみてこそわかるものがあり、それは言葉の届かない領域にあるサムシングなのだ。

 西洋文化に出自をもつサイコセラピーやカウンセリングという営みは、別名「お話し療法」と呼ばれているように、そもそも「言語化」を求める。しかし、言語化するということは、「言葉にならないもの」を破壊する・無視するという意味でもある。なにかを言の葉に置き換えていくと、その葉に乗らなかったものがそこに現れる。言葉にしていくと同時に、言葉にならないものを体験していくこと。それが心理臨床の本質的な特徴のひとつなのかもしれない。

(文:筒井亮太)