臨床コラム 逢うことの魅力

 確か、小学生の頃の出来事です。

 寝台特急の車窓から、あぜ道を歩くおじいちゃんを見て、踏切を待つ車の運転手を見て、今この人は何を思っているんだろう…と思いを巡らせることが好きでした。

 電車が通過している間の一瞬の登場人物になったその人は、今、私の目の前に登場するまで、様々な偶然があって巡り会ったことに違いないのです。

 そう考えると、車窓からの景色は色々な人の人生を勝手に想像させてくれる劇場のような空間だったのでしょう。

 私が特別に切り取って見ている彼らのその姿は、彼らにとっては日常でしかなくて、きっと、何も考えてないんだろうなあという結論に行き着いたりもしました。

 何も思っていないのかもしれない…でも、何も思わない、なんて本当の意味ではきっとできないから、何もないということはないんだろうな、と、その時に気付いたりもしました。

 何もないんじゃなくて、その人にとっていつも通りなんだとすると、じゃあその人のいつもとは何なのか、とまた勝手に考えることができます。車窓から眺めているだけの私に、その答えは一生知ることができないのですが、小学生の私が長旅の合間にすることとしてちょうど良かったのかもしれません。

 人と出会う、という過程には、さまざまな出会い方があると思います。

 最近は出会い方が多様化してきていて、オンラインでしか会ったことがない、なんてこともあると知った時、現代を感じざるをえませんでした。

 私たちがカウンセリング場面で出会うこともひとつの偶然から生まれた出会いです。

 みなさんにとって日常的なことなのかもしれない時間について、みなさんが立ち止まって考えたいとき、その時間を一緒に共有できたらなあ、と思います。

 それは、小学生の私が知ることのなかった先の世界で、それによって誰かがこころを考える役に立つかもしれない、ということに私は惹かれているのです。

(文責:橋本彩加)