臨床コラム 2021年 夏の終わりに:生きる力について考える

 2021年の夏が,振絞るように鳴くツクツクボウシの声に急かされるようにして終わろうとしている。いつもなら,夏の終わりのこの時期には,秋祭りの太鼓と鉦とのお囃子の練習の音が風に乗って届くのであるが,今年もその音が届かない。昨年の年明けから蔓延と続いている新型コロナウィルス感染症の感染予防の対策のためだ。去年の夏も同じように感染対策で恒例の行事がことごとく中止となった。今年は,状況も落ち着いて開催される行事も増えるだろう・・と楽しみにしていたのだが,コロナの感染状況は去年以上に猛威を振るい,今なお第5波の感染の最中にいる。病院の面会には制限かかけられ,乳児や小児であっても,家族の面会は全面禁止とか2日に1回子どもに触ることが禁止された面会が15分だけ許されるという状況の施設も増えてきた。感染対策とは言え,病と闘う幼い子どもの心細さや不安を考えると,母親にも家族にも包み込んでもらえない状況が,無性にやりきれない。

 本来,外的世界からの脅威や生命の危機に陥るかもしれない状況では,常に母親が赤ちゃんと一緒に居て温もりと安心感を与えるケアが大切だといわれていたはずなのに,それを禁止しないと対処できない状況が私たちを取り巻く外界でひたひたと日常生活のあちらこちらに忍び込んでいる。「大切なものが補給されない」状況は,カウンセリングというこころのケアにおいても,感染を回避するために同様に生じている。

 外的世界とこころの繋がりでこの状況を捉えてみると,外的世界で発生した体験したことのない大変なことは,「どう対処していいかわからない未知の脅威」として私たちにのしかかり,なすすべもなく不安を感じたり無力感に苛まれたりする。そして見通しの持てない中で,「死ぬかもしれない」不安に苛まれ,場合によっては,「外の世界が怖くて仕方がなくなる」のである。

 ところが,そのような究極の体験をしていても,私たちは次第にその脅威に慣れて,自由に動き始めている。どれほど生命の危機にさらされていても,その状況に慣れて大丈夫そうだ・・と思えてくると,生命を脅かす危機に怯えるだけではなく,「環境に馴染む適応力」を発動させていく面ももっている。コロナ禍の中ではあったが,東京五輪やパラリンピックの開催の中で,たくさんのアスリートたちが限界に挑むこころと身体のチャレンジを発揮して,見る者の心を躍らせてくれた。

 そこに見る人間の逞しさは,いかに外界から生命を脅かされる体験をしていたとしても,その体験を抱え包み込んで母親のように外界からの脅威を護り和らげてくれる誰かがいるだけで,生きることを諦めずに回復してくるしなやかさを持っている。それは,生きとし生けるものが持っている生命力であり,生きるための回復力であるのかもしれない。

 外的世界は生命と心を脅かしてくる一面も持っているけれど,実は生きるために必要な心のエネルギーを補給してもくれる環境でもある。こころの回復力にとっても大切なものを取り入れながら,外界の脅威に対処できるなら,心穏やかな日常を過ごすことも可能となるだろう。

 それでも,私たちのこころが,外界からの脅威や制限で不安や苦痛を抱えて,余裕を失って疼いているときには,まずは護られた安心できる環境で身体もこころもひとまず休め,こころの余裕を取り戻すことが大切であろう。そして,抱えられた環境の中で,丁寧にこころの中にも注意を傾けて,忘れていた活き活きとしたありのままの自分を心の中に取り戻ことができたなら,その時,外界の脅威にも対処できうる力が発動してくると思っている。現に,薬の力に必要以上に頼らないで,心が回復するカウンセリングの機会を当院は大切にしている。それは,その心の回復力(自然治癒力)を信じているからだろう。

(文責:川野由子)