臨床コラム 『オペラ座の怪人』その2 〜早期母子関係〜

2018年10月のコラムで,『オペラ座の怪人』を題材に,クリスティーヌに焦点を当て,“対象喪失という体験がもたらすもの”について,私が思うことを綴りました。今回は,オペラ座の怪人の生い立ちに焦点を当て,早期母子関係を取り上げたいと思います。

あらすじの続き

オペラ座の怪人は,自分の隠れ家でもあるオペラ座の地下室にクリスティーヌを連れ去り幽閉しようとする。クリスティーヌは,仮面で顔を隠した怪人の正体が「音楽の天使」であることをここで知ることになる。仮面に隠れている姿が気になるクリスティーヌは,怪人の背後から仮面を剥がし,怪人の素顔を目にして驚愕し,恐怖に怯えた。この世のものとは思えないほど醜い顔…それゆえ,生まれた時から母親にも愛されず,あらゆる人にあらゆる場所で虐げられてきたという悲惨で物哀しい怪人の過去が,仮面の下に隠されていた。

オペラ座では,歌姫カルロッタを主役とする新しい舞台の準備が進んでいた。そこへ怪人から支配人に,「新しい舞台の主役はクリスティーヌに。然もなければ,恐ろしいことが起きる」という手紙が届く。怒った支配人は怪人の要望を聞き入れず,カルロッタに主役を演じさせる。すると,公演中にカルロッタの歌声がヒキガエルの声に変わり,さらに大道具のスタッフが縄で首を絞められ,天井から吊るされた死体が舞台上に晒される。怪人の恐ろしさを目の当たりにしたクリスティーヌは,ラウルと共に屋上に逃げ,そこでラウルにオペラ座の怪人の正体を打ち明ける。ラウルは,「怪人から君を守る」とクリスティーヌに約束する。この話を屋上の片隅で密かに聞いていたオペラ座の怪人は,自分への宣戦布告と捉え,惹かれ合う二人に嫉妬し,怒り狂ってさらなる事件を起こすことになってゆく…。

 オペラ座の怪人はなぜ仮面で顔を隠さねばならなかったのか?自分が見たくないものや他人に見せたくないもの,あるいは,醜いもの,恐ろしいものを隠そうとすることは,ごく自然な行為と思えますし,それとは逆に,隠されているものがなんなのかを知りたがる,というのも人間が持つ一側面ではないでしょうか。

オペラ座の怪人は天才的な能力の持ち主ではありますが,母親側が彼を愛することを受け入れなかったため,彼は愛されることを経験できず,虐げられ見世物にされ,孤独な環境のなか育っていきます。怪人は,クリスティーヌを歌姫として育てる一方,クリスティーヌを独占しようと彼女を地下室に幽閉したり,クリスティーヌとラウルが惹かれ合っていることを自分への宣戦布告と捉えたり,果ては物語のクライマックスでラウルの首に縄をかけ,彼の命をとるか自分をとるか,クリスティーヌに究極の選択を迫ります。身勝手とも思える愛のストーリーを自分自身のなかだけで展開させてゆく自己愛的な怪人。

早期母子関係が危うい状況,つまり,赤ん坊が絶対的に依存できる環境が赤ん坊側に提供されず,赤ん坊自身,自分が依存しているという事実を知らずに育ってしまったとしたら…。自分のほかに他者という対象が存在している,ということがわからず,オペラ座の怪人のような人格が形成されてしまうのかもしれません。怪人は,「自分が愛されないのは顔が醜いから」と主張しますが,クリスティーヌは,「醜いのはあなたの顔ではなく,あなたの歪んだこころです」と最後に諭します。そして,人を愛すること,人から愛されるとはどういうことかをオペラ座の怪人に体現しました。目に見えるものだけでなく,目に見ないものこそ尊くて大切と思える,私の仕事に影響をもたらした映画『オペラ座の怪人』を2回にわたって紹介しました。

(文:作山洋子)