臨床コラム 精神分析と〇〇

 精神分析(あるいは心理療法)をあれこれ他の文化や芸術的な営みに準えて説明しようとする試みは多い。「精神分析と音楽」「精神分析と映画」「精神分析と演劇」などなど。クラシック音楽のオーケストラは心理療法を行う2人とそれを取り巻く人々や環境というシステムに,あるいはアンサンブルは心理療法では多層的に流れるテーマがあることに,はたまたジャズの即興性は心理療法におけるそれに。映画のスクリーンに写し出される物語は夢を見ることに,といった具合に準えうるだろう。

 「精神分析と〇〇」はそれぞれの持つ性質の重なり合う狭い部分を指摘するが故に私たちはどこか核心を突かれたような気持ちになり,惹きつけられるところがあるのだが,一方で「〇〇」は何とでも言えてしまうということもある。

「精神分析とコント」
 大の大人2人が顔を突き合わせて狭い部屋に篭り来る日も来る日も,というのは外の人間から見ると、中の2人が真剣であればあるほどナンセンスに映るかもしれない。

「精神分析と長距離走」
 精神分析はスタンドバイミーやレインマン,ドライブマイカーよろしく,ロードムービー的である。なぜならロードムービーには長い道のりを伴走する2人が見る景色を描く,という側面があるから。

「精神分析と釣り」
 どのポイントで釣りをするのか,餌は何か,糸の太さは,針の大きさ,そうした細かなことの組み合わせ全体が釣りを構成するが,何よりも潮を読むことが大事になる。精神分析でも部屋の設え,時間,料金がそれを構成するが,何よりも全体の流れ,いま私たちはどこに向かって流れているのかを把握しておかないといけない。

「精神分析と料理」
 料理ははじめ正しい包丁の使い方を学ぶところから始まる。レシピも,教えられた通りに作ることが肝要で,まずは型を学ぶ。徐々に,食べる人のことを想い,その人にあわせた料理を作ることができるようになっていく。心理療法も型の習得から始まるが,いつしか目の前の一人の人のためのものになっていく。

 まとめると,精神分析は長距離走をしながらその間に釣りをして,釣れた魚で料理を作って食べるようなもので,ちなみに食事の時には音楽映画を見る,というコントである。もう少し真面目に書くと,精神分析は人間の営み全てに関係するものだとも言えるだろう。
 皆さんの思う「精神分析と〇〇」は何でしょうか。

(文責:石田 拓也)