臨床コラム 鴨居玲 Ray Camoy

ふらっと旅行をした先の美術館に,彼は飾られていた。どうやら地元の画家らしい。

正面には,顔がなく,代わりに自分の顔の仮面を持った男の自画像が置かれていた。
仮面には悲痛な表情が描かれていた。

いわゆる綺麗な絵を描く画家ではないようだ。
暗く,悲しく,寂しく,時に訝るように人を描いた絵が飾られていた。

ある時から,裸体の女が増えた。
垂れた身体の線を描かれた女たちは,これもまた,綺麗な絵ではなかった。
でも,彼が,生きながら描いているように感じた。

少しすると,裸体の女は描かれなくなった。
彼の絵は,また前のように戻った。

次に,彼が今まで描いてきた者たちが集まった絵が飾られていた。
中心には,真っ白のキャンバスを前に座り込み,悲愴な表情をこちらに向ける彼がいた。
彼が自ら死を選ぶすこし前に描かれた絵だった。

最後に,疲れ切った道化師が悲しく笑う絵があった。仮面はつけていなかった。
彼はこれをアトリエに遺して,この世を去ることを選んだ。

綺麗だった。綺麗すぎるくらいだった。
出来すぎたドラマのようだった。
でも,そこには間違いなく,彼の人生があった。

わたしも,こうなりたいと思った。

彼は,絵に生かされ,絵に殺されたのだった。
生きることも,死ぬことも,絵だから表現できたし,絵でしか表現できなかった。
だから,それらはとても綺麗な絵だった。

絵は彼自身で,まさに,彼の人生そのものだった。

化粧という仮面が崩れていないことを確認して,わたしは美術館を出た。

降りはじめの雨が地面をはねる音は,わたしをやさしく,現実に戻した。

(文責:橋本 彩加)