臨床コラム 別れの季節を迎えて思うこと

 春を迎えてだんだんと陽ざしも暖かくなってきました。個人的には花粉症の季節に入って苦痛な日々を過ごしています。ニュースを観ていると、全国各地で卒業式や卒園式が催されているようです。今年は他の行事ごとと同じく、新型コロナウイルスの影響で特殊な形で催されるところが多かったみたいですね。このコラムを読んでくださっている方の中にもこの春から新生活に入られる方もおられるかもしれません。特殊な卒業式や離任式を経験された方もおられることと思います。
 
 私たちの人生には、この別れが付き物です。卒業、異動、死別、なぜか疎遠になる、などなど挙げればキリがありません。職場の仲間と夜遅くまで仕事をして別々の道を帰るときにも、明日会うと分かっていても一時的な別れを経験する訳です。別れるとき、私たちはさまざなま情緒を体験します。清々したことがある方もおられるかもしれませんし、とても寂しい思いをした方もおられるかもしれません。あるいは、どうしようもなく怒りを覚えたことのある方もおられるかもしれません。苦痛で仕方ない方もおられるかもしれません。そのほかにもいろいろな情緒を体験することでしょう。
 私が日々提供している心理療法も例外ではありません。最も大きな別れは、もちろんその心理療法が効果をあげて両者合意の上、終わること(終結と呼びます)や道半ばであれ、たとえば転居やその他の理由で終わること(中断と呼びます)です。この時患者さんの側では色んな情緒が経験されることでしょう。それは今までその2人が紡いできた関係によるものと思います。もちろん治療者も色々な情緒を経験します。そして、私たちの営みは別れからどうしても離れられないのです。たとえば、週に1回会うと約束していても、sessionが終わると1週間お会いしないという別れが生まれます。この1週間の別れにも私たちはいろいろな情緒を経験するのです。

 来週会うと分かっていても、です。では、これからの人生でもう一度会うことはないだろう、と思って別れる終わりならどうでしょうか?これはかなり強いインパクトがあります。ただ、もう一度会うことはないと思い別れることは終わりを意味するでしょうか?会わなくなったら終わりでしょうか?ということを考えてみると、それは違うように思うのです。
 私たちは会わなくなっても、会わなくなったその人のことを、ふとしたときに考えることがあります。何かを思い出すことがあります。その人に対しての気持ちが何かしら動くこともあります。日常的に私たちにはそういうことがあるのです。私自身、「あの時、あの人が言ったあれはこういうことだったのかな?」と考えることがありますし、それはsessionが終わって患者さんにお会いしない1週間もそうです。ふとした拍子に何か考えが、情緒が、記憶が、頭を過ることがあるのです。それはずっと会わなくてもそうです。そして、そのくらいのインパクトをもつ関係になったときには、再会したとき、会っていた頃のように体験が続き、会っていない期間のことを聞くだけで事足りることもあるでしょう。

 やはり私たちの関係が始まった以上、一定の区切りがつくことや別れることがあっても、どうも終わることはなさそうです。関係が始まるというのは、それくらいインパクトがあることなのでしょう。さて、書きながらですが、なぜ私はいまこのことについて書こうと思ったのでしょうか。もちろん春だから、ということもあるのですが…。たぶん私も以前別れた誰かと対話を続けているということなのでしょう。それが結構顕著になったタイミングだったのだろうと思います。

 (文責:川崎俊法)