臨床コラム 話すこと、聞くこと

私は話すことが好きです。

思い返せば、小学校の担任の先生につけられたあだ名はおしゃべり〇〇。

中学生の担任の先生にもおしゃべりな私について、泳ぎ続けないと死んでしまうサメみたいなものだ、と言われたことがあります。よっぽどしゃべり続けていたのでしょうね・・・。今はそれほどではないと思っているんですけれど。

心理士として働き始めたある時、友人に、しんどい思いをしている人の話ばかりを聞いていたらしんどくならないのか?と聞かれたことがありました。このことは印象に残り、そして自分について考えさせられました。そう言えば私は話すことが好きで、自分の話を聞いてほしい。どちらかと言えば友人の相談にのるより相談する方のように思う。実は向いてなかったのではないかな?何か間違えたかな?と。そしてしばらくしてある考えに行き着きました。そうか、私は話すことが好きだから、自分の話を聞いてもらえることの喜びを知っている、だからこそ人の話を聞こうと思うのだ、と。きっと人も話したいのだ、と。そして、だからこの仕事を選んだのではないかな、と思うようになりました。上記に挙げた担任の先生には、心理士を選んだことを「わかる」と言ってもらいました。その言葉が今も背中を押してくれているように思えます。

人は与えられたこと、やってもらってうれしかったこと、経験したこと、学んだことは、誰かに伝え、受け渡すことが出来ると思っています。言い変えれば、残念ながら与えてもらえなかったことや、経験できなかったことは、たとえそれが多くの人にとって容易に感じられることであっても、感覚として理解することは難しいと思います。他の人には確かにある(わかっている)のに、自分にはない(わからない)と感じることがあるかもしれません。時にそれは生きにくさにもつながることがあります。そんなときは信頼できる誰かに話をしてみてください。話しをし、聞いてもらい、また何か言葉をかけてもらうことで、すっきりしたり、整理できたりするだけでなく、何かを得て、自分をより知ることにつながっていくのではないかと思うのです。

余談になりますが、私の知人で宇宙について学ぼうとしていた人がいました。その話をある恩師にし、「それと比べて私は(人の心という)小さなことをやっていますね。」と言うと、恩師が「心も宇宙のように広いものだ。」と言葉を返してくださいました。その言葉も私の心に深く残っています。話すこと、聞くことは日常のありふれたことですが、心の作業を行う大切なことです。宇宙のように広く、実に奥が深いものなのではないかと思います。

(文:石崎利恵)