臨床コラム:勘違いすること

 今回は,「勘違いすること」という題名で,伝わること・伝わらないことについて書いてみようと思います。でも,これは,コミュニケーションスキルにかかわるコラムではありません。コミュニケーションスキルではない,「伝わること」,「伝わらないこと」について書いてみようと思います。

 最近,英会話を再開しました。外国語で話すと,ふだん考えないことを考えさせられます。「言い回しはこれでいいのだろうか?」,「間違って伝わっていないだろうか?」,「主語をつける必要はあるだろうか?ないだろうか?」など。同時に,日本語で話しているときに,あまりに細部に無頓着なことにも気づかされます。会話中,とても不安に陥ります。「果たして,私がいま話していることは伝わっているのだろうか?」あるいは「相手の言っていることをちゃんと理解できているだろうか?」と。

 さて,ここまで話したのはコミュニケーションレベルのことです。巷にも,コミュニケーションスキルを上げる!的な本が溢れています。相手に,自分の気持ちなり,考えなりが「伝わること」はとても重要です。ときに,「伝わった」とうれしく思うことがあります。言語の水準・情報をやりとりする水準で「伝わること」はしばしばあります。

 しかし,情緒的な部分,気持ちの部分ではどうでしょうか。なんとなく,「伝わるだろう」と思えるから,私たちは相手にその気持ちを話せたり,情緒を伝えられたりするところはあると思えます。しかし,それはほんとうでしょうか。ほんとうに,伝わることがあるでしょうか。「ほんとうに?」と言われだすと,少々困ります。たぶん無さそうです。ほんとうに「伝わること」がないにもかかわらず,話さないといけないとすれば,他者とコミュニケーションしないといけないのだとすれば,それはいかに虚しいことでしょうか。どうせ伝わらないのです。

 でも,私たちは,おおむねこれを気にせず,話しています。他者とコミュニケーションをとっています。絶対に,ほんとうに「伝わること」はないのに,です。なぜ,そんなことができるのでしょうか。どうせ伝わらない,と分かっていたら,話せるでしょうか。そんな虚しいことできるでしょうか。わかり合えることなどないのです。絶対に。なのに,どうしてコミュニケーションできるのでしょうか。たぶん,私たちが「勘違い」できるからです。人に気持ちが,考えが伝わるという勘違い,人とわかり合えるかもしれない,という勘違いです。

 この「勘違い」ができないのは問題です。話すことは空虚で,外の世界とは隔たり,孤独で,周囲とは違うという感覚を抱きながら,生きることになるでしょう。私たちが生きるために,「勘違い」する力はとても重要と言えそうです。勘違いできている多くの人間の中にいて,勘違いできないのはそれなりに問題があることでしょうから…。

(文責:川﨑 俊法)